重要文化財 時國家
能登安徳天皇社【開運招福絵馬】(大)(小)
■ 能登安徳天皇社



平安時代末期、時の最高権力者、平清盛が、その子女である徳子(後の建礼門院)を高倉天皇の中宮(妻)とし、二人の間に誕生したのが安徳天皇です。
父である高倉天皇は、父が後白河天皇、母が平時忠の妹である滋子(後の建春門院)です。
治承二年(1178年)に生まれ、治承四年(1180年)わずか二歳で天皇に即位しましたが、政治の実権は祖父である清盛が握っていました。

治承五年(1181年)清盛の死去により、栄華を極めた平家は衰亡の一途をたどり、寿永2年(1183年)京に侵攻した木曾義仲の軍勢と入れ替わり、天皇も平家団結の象徴として平家一門とともに都を落ちました。
その後、一の谷、屋島と敗戦を重ねた平家は文治元年(1185)三月二十四日壇ノ浦の合戦で源義経率いる源氏の軍勢に破れ、この時、安徳天皇は御歳八歳で二位の尼(平時子)に抱かれ御入水されました。

「浪の下にも都の候ぞ」(波の下にも都がございますよ)
御入水にあたり、そう語って二位の尼は、幼い安徳天皇を慰めたと平家物語は悲哀を今に伝えています。

合戦の後、安徳天皇の御遺体は赤間関の阿弥陀寺境内に埋葬されましたが、後に源頼朝の命により阿弥陀寺に御影堂(安徳天皇社)が建てられました。
阿弥陀寺は明治の廃仏毀釈により赤間宮と改称し、官幣中社となり、さらに昭和15年(1940年)官幣大社に昇格し赤間神宮に改称されました。

昭和六十年、源平八百年を期に全日本平家会が設立され、元官幣大社赤間神宮より当家に御分霊が親授され、邸内社を建立し「能登安徳天皇社」の称号が授与されました。

■ 国指定名勝の庭園内の能登安徳天皇社に参道を設置 (平成二十四年四月)
奥能登の由緒あるパワースポットとして、ご参拝いただけます。




庭内参道の全景
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